にんぎょの筺

聖なる夜、彼女を連れて

seinaru3

 まーてつはアイオンの最も親しいフレンドだ。  だからアイオンに新しいお砂糖ができたとき、その事実を誰よりも早く知らされた。  大事な話がある、とアイオンからダイレクトメッセージを受け取り、インバイトインスタンスで待っていた。  窓の外で雨が降る、青基調の暗い部屋に、アイオンは現れた。  アイオンは事前の連絡通り、お砂糖を連れていた。彼女は白と黒のメイド服を着て、縁のぴかぴか光る頬の下に、人なつっこい笑顔を浮かべていた。まーてつは彼女に悪くない印象を抱いたし、同時に、なるほど、アイオンの好きそうな女性だ、とも思った。 「報告してくれてありがとう」話を聞き終えて、まーてつは言った。彼の言葉を祝福と受け取ったのか、アイオンとそのお砂糖は破顔した。  まーてつは言葉を続けた。「今後、彼女とはどうしていくつもりなの?」  アイオンは答えた。「いろんなワールドを巡って、二人の時間を大事にしていきたい。でも、まずはフレンドたちに報告するよ。ずっとしてみたかったんだ、お砂糖報告」  まーてつはからかいを込めて、「気をつけろよ。彼女人気あるから、誰かから嫉妬されるかもしれないぞ」と言った。  お砂糖は恥ずかしそうに赤面した。二人が去った後、まーてつはソーシャル欄に輝く彼らのサムネイルをしばらく見つめていた。

 ◇

 アイオンの親しいフレンドたちは、彼にお砂糖が出来たことを祝福し、彼の大切なパートナーを褒めそやした。  お砂糖とはVRChatにおけるパートナー関係を指す。その関係性は大抵の場合リアルには発展しないことから、仮想にしか咲かない花、とも呼ばれていた。  毎日会うことができるVR恋愛の賞味期限は短い。それを皮肉に思う者もいれば、その儚さを愛する者もいた。  アイオンが彼のお砂糖を紹介した最初の二、三人は、後者の解釈を持っていた。  仲町とぽりんきは「どこで出会ったのか」「彼女のどこが好きか」と質問を重ね、アイオンたちが甘酸っぱい気持ちに浸るのを手伝った。 「彼女を知ったのは二ヶ月前だよ」アイオンは答えた。「フレンドのインスタンスで一目惚れして、名前を聞いた。最初は断られたんだよ。でも……やっと付き合えた」  仲町とぽりんきは感慨深く二人を見守り、やがてぽりんきが口を開いた。「アイオン。お前今、幸せか?」 「ああ。すごく幸せだよ。今まで生きてきた中で、いちばんかもしれない」  そして、アイオンはお砂糖に向かって言った。 「この子は俺にとって、唯一の女性だ」  アイオンの手を胸に当てられた彼女も、同様に幸せに見えた。

 ◇

 アイオンは親しいフレンドに報告を終えると、次は顔見知りのフレンドにお砂糖を紹介しに行った。 「おめでとうございます」アイオンがXでフォローしているTOBETUというユーザーは、わざわざフレンドインスタンスの入り口までアイオンたちを迎えに来た。礼を言うアイオンとお砂糖の姿が、正面の鏡に映っている。こんなにかわいいパートナーをTOBETUが見ていると思うと、アイオンは誇らしい気持ちになった。 「久しぶりに顔を出しましたが、またインバイトに籠もることになりそうで」アイオンが言うと、TOBETUは愛想よく手を振った。「いいんですよ。恋と鉄は熱いうちに打てと言いますから」  続けて、彼は少し真面目な声になった。「アイオンさんに取っては、一種の決意表明といったところでしょうか」  部屋の奥から、ビデオプレーヤーの前にいるフレンドたちの笑い声が聞こえてくる。  アイオンは表情を引き締め、「そうですね。彼女は人気者です。ライバルはたくさんいます。でも、私が、私だけが彼女のお砂糖です」と答えた。  TOBETUは静かに言った。「お二人の幸せを願っています。ただ、私のお友達にはお砂糖さんを好きな方も多いですから……気をつけた方がいいかもしれません」  彼はTOBETUの親切心に感謝の言葉を述べ、お砂糖とインスタンスを後にした。  二人が去った後、賑やかな輪に戻ってきたTOBETUは肩をすくめた。

 ◇    アイオンは知るよしもないが、彼が去ったあと、フレンドたちは気まずい沈黙に包まれていた。  古参のVRChatユーザーである担川とさりょは、報告の場ではやり過ごしたものの、互いにVRゴーグルの裏で渋面を浮かべていた。 「アイオンくんもライン越えちゃったかぁ」  飲み屋街の外れで、担川はアイオンの去った方向を見つめていた。 「前から現実の恋愛上手くいってなさそうだったしな」  そう言って、さりょはグラスに氷の当たる音を響かせる。担川のマイクにライターの音が入った。 「まぁ……リアルの人間に迷惑かけるわけでもなし、静観ってことで」 「ニナは寛容だな。俺はああいうの受け入れられないわ」  担川は低く相づちを打った。 「お前、アイオンのお砂糖好きだもんな。アイオンは知らないけど」 「そう。ぶっちゃけその程度の関係だから俺は距離置いても問題ないけど……心配なのはその後のことよ」 「炎上?」  さりょはグラスを置いて空を睨んだ。 「お砂糖に悪いイメージついたら無理。その頃にはあいつ、めちゃくちゃ孤立してそうだけど」  担川が煙を吐いて言った。 「それを言うなら、もう始まってるだろうな」 「そうだな」  路地を真っ直ぐに、黄色のネームタグが移動してくる。仲町とぽりんきの姿を認めると、担川は手を上げた。  さりょが言う。 「お砂糖、いや、もうこの言い方はよそう――販売アバターをパートナーと言い張るなら、こっちも相応の扱いをする。現実を生きていない人間の相手をするほど、俺は暇じゃない」  仲町とぽりんきは二人に挨拶し、当たり障りのない話題から会話を始めた。四人の、このインスタンスにいる全員の頭上を、明けることのない夜空が覆っている。

 ◇

「レイン」  アイオンがお砂糖の名前を呼ぶ。彼女はアイオンとともに、廃墟の教室を模したワールドにいた。床や壁を緑色の蔦が覆い、窓から白い光が差し込んでいる。揺れるカーテンに綻びはなく、ここが非現実の世界であることを強調していた。  アイオンの目の前に、彼女はいる。  にこにこと彼を見つめ返す瞳は、彼好みの美しい形をしている。豊富なシェイプキーによって細部まで調整された造形は、彼の理想の姿だった。頬に伸ばされた爪の先に載った黒いネイルチップは、かつて彼が恋い焦がれた存在が身につけていたものだ。  このインスタンスにいるアバターは、レインだけだ。  アイオンはレインの姿勢を整え終えると、カメラを構えて焦点を合わせ、シャッターを切った。何度か構図を変え、また姿勢の調整をする。彼がレインと呼ぶ女性は、彼に操られるままに手足を動かした。その表情まで、アイオンの意のままだった。  二人の完結した世界を邪魔する者はいない。彼の宣言を受けて、彼のフレンドたちは彼をそっとしておいた。以前のアイオンならば、少し寂しかったかもしれない。現実に居場所のない彼は、自分を受け入れてくれるこの世界の優しさを愛していた。レインのいる今は、もう、他者など必要ない。  レインは、市販の3Dキャラクターだ。  アイオンが彼女を知ったのは、フレンドプラスインスタンスでのことだ。バーのワールドで、誰もが酔っていて、笑っていて、うるさかった。それでも一人になるよりはましだったので、アイオンは輪から少し外れて控えめな相づちを打っていた。その場から動くことができなかった。  誰かが入ってきて、美しい女を連れていた。男だったが、詳しくは記憶していない。  美しい女は、初めて見るアバターだった。アイオンは勇気を出してそのアバターの名前を訊いた。女の代わりに、別の人間が名前を教えてくれた。男は女を連れてどこかへ行ってしまった。  そのバーイベントに、何度かジョインした。こういった場に慣れていないアイオンは、3D空間でも分かるほど浮いていた。構わなかった。もう一度あの女に会えるなら、周囲の態度など頬に当たるそよ風のようなものだ。現実で受ける仕打ちに比べれば、遙かにましだった。  女には再会できた。しかし、一言会話を交わしたきり、二度と会えなかった。  だから、アイオンはレインを購入した。気づかれないよう撮影したスクリーンショットを頼りに、女に寄せて改変を施した。ほとんど改変をしたことのない彼には難しかったが、時間をかけて彼はそれを完成させた。  初めてVRChatの中で彼女を見たとき、彼はレインのせせらぎのような声を聞いた。  確かにレインはアイオンに向かって語りかけてきたのだ。Unityの中で何度も、アイオンに向かって励ましの言葉をかけたような記憶さえ、彼は持っていた。  彼にとってレインは、現実の存在になった。  だから、お砂糖としてフレンドたちに紹介した。 「そういうのもありか」「多様性ってやつ?」という彼らの反応を、アイオンは都合よく聞き流した。  彼の愛したこの世界の優しさは、彼の視界では、形を保っていた。  レイン。  彼女の元となった女のいる界隈に近づかなければ、レインの存在を脅かされる可能性は低い。アイオンはアバターのスクリーンショットをSNSにアップロードしなかった。それくらいの慎重さは持っていた。もしかしたら、主義が変わることもあるかもしれないけれど。 「付き合ってくれてありがとう。君はとてもきれいだ」  アバターからの幽体離脱をやめて、レインの中に戻る。自分が最も美しいと思う外見。それを着ぐるみだと思う人もいれば、分身、あるいは着せ替え人形だと解釈する人もいる。  アイオンにとってアバターは、お砂糖だった。ただ、それだけのことだ。 「次はどこへ行こう?」  ワールド欄をスクロールするアイオンの耳に、さらさらと心地よい声が響く。 「どこへでも。あなたの行きたいところへ」  アイオンは微笑み、ピンク色のカフェのワールドをクリックする。 「それじゃあ、君の好きそうなところへ」  今夜も、誰かの通知がアイオンを訪れることはない。

 ◇

 本来の習慣とは異なり、この国ではクリスマスといえば、恋人と過ごすのが通例であるかのように扱われていた。  VRChatならば尚更、この日に意中の相手に告白したり、お砂糖とデートしたりするユーザーが後を絶たなかった。  アイオンも、電飾で飾られたきらびやかな街を、レインと歩いていた。  大きなもみの木が二人を迎え、サンタやトナカイのバルーンが微笑みかけている。  雪の欠片が降る石畳に伸びる影は、一つだ。 「世界中で、君だけを大好きだよ」  アイオンの言葉に、レインが頬を染める。愛の言葉を囁くと、多幸感で胸がいっぱいになる。同時に、中心にぽっかりと虚ろな穴が空いているような気がした。  気のせいだ。レインの存在も、この愛も、本物なのだから。 「とても静かね」  鈴の音と管弦楽の流れる街で、レインは言った。 「まるで世界に二人きりみたい」 「今日はみんなも、インバイトに籠もっているんだろうな」  何気なくフレンドリストを見て、アイオンは気づいた。フレンドの数が、減っている。  お砂糖は人気だから、嫉妬されるかもしれない。  アイオンは唇の端を持ち上げ、メニューを閉じた。 「アイオン?」 「寂しくなんかない。寂しいもんか。君がいるんだから」  正面に置いたミラーの中で、レインが上目遣いに彼を見返す。 「そうよ。私がいるわ」  鏡を引き寄せる。あの女と同じ顔で、彼女は笑う。 「片時も離れず、あなたを裏切らず、あなたのほしい言葉を与えて、あなたのどんな欲望も受け止める」  黒い爪が、アイオンの心臓を指さした。 「それって、本当のパートナーなの?」  鏡が消える。アイオンが宙に放り投げたのだ。コントローラーも吹き飛び、壁に激突する。  雪の降る街に、レインの笑い声が響く。アイオンは床を拳で打ち付けた。 「本当だ。本当に決まっている。苦手な作業も頑張って、お砂糖報告もして……」  それで、何が得られたのだろう。代わりに何を失ったのだろう。  みんなに映る俺は、アバターとお砂糖報告する、口下手でモテない男だったのではないか。 「違う。違うんだ。俺だって、頑張れば……」  そうだ、とアイオンは思いついた。  あの女に会いに行こう。  こんなニセモノではなく、最初に好きになった、本物の女に会いに行こう。  今なら上手くいくかもしれない。あのときとは違う。勝算がある。  アイオンは立ち上がると、メニューを開いた。彼女と出会ったバーがクリスマスイベントを開いている。あの女がいなければ、人づてにきっかけを作ればいい。 「行こう」  もうせせらぎのような声は聞こえない。必要ない。  このアバターはきっと、彼女の前で好意の表れとして機能する。  君の似姿を作るほど君を愛したのだ。だから俺も、愛されていいはずだ。  雪の降る街が消える。打ち付ける熱い高鳴りを、アイオンだけが聞いていた。

#VRChat #コンプレックス #短編