ナツノマボロシ
夏と聞いて、どんなイメージが思い浮かぶだろう。 黄金色の陽光を油のように浴びた向日葵、青空に立ち上がる白い入道雲、生命力に溢れた蝉の鳴き声。希望に満ちた一日の到来を告げて咲く朝顔、涼やかな音色を奏でる風鈴、瑞々しい食感の西瓜。 これらのイメージは確かに夏という概念が含む美しい要素である。オタクでなくても思いつく、一般的な風物詩だろう。 しかし、恋愛アドベンチャーゲームのオタクである俺にとって、夏といってまず思い浮かぶのは、白ワンピースの少女だ。 先に挙げた風物詩ももちろん愛している。入道雲の下に広がる向日葵畑も、風鈴の音を聞きながら食べる西瓜も、想像するだけで切なく懐かしい気持ちになる。 ここで加えて考えてみてほしい。その場に白ワンピースの少女がいたら、先に述べたシチュエーションはさらに輝きを増すのではないだろうか。 こちらに向かって花にも負けぬ笑顔で笑い、手を振る少女。口の周りが汚れるのも気にせず西瓜にかぶりつき、「おいしいね」とこぼす少女。 この少女が幼馴染みなら最高だ。夏休みに訪れた親戚の家で、きょうだいのように遊ぶ近所の女の子。俺たちは受験などで数年間疎遠になるが、再び顔を合わせたときに互いの成長した姿にときめきを覚えるのだ。 そして始まる夏の恋。彼女がラムネを飲み下す細い喉に視線が吸い寄せられ、久しぶりに訪れた昔の遊び場で二人の思い出の品を発見し、時は相手のことを異性として意識せざるを得ないようなハプニングもあって、恋心を自覚した俺は花火大会の夜彼女に告白をする……。 すべて、俺の妄想である。現実に俺の近くにそんな女の子はいなかったし、二○○○年以降に生まれた俺にとって夏といえば殺人的な暑さに苦しめられる季節で、風物詩を楽しむ余裕はほとんどなかった。夏休みに山間に建つ親戚の家を訪れたことはあるが、田舎特有の強力な毒と俊敏性を持つ蚊をはたき落とそうとして逃げられながら、いとこだのはとこだのの子守をした記憶しかない。 美少女との恋愛などという気持ちの悪い妄想をするのも、中学生以降空調の効いた薄暗い部屋にこもってパソコンで遊んでいたからだろう。それは置いておいて。 そんな俺に、いや俺たちオタクに白ワンピースの少女への憧れを植え付けたのが、恋愛アドベンチャーゲームなのだ。 それらのゲームにおいて、舞台に選ばれがちなのが夏の田舎だった。田舎といっても、海沿いの町だったり山の中だったりする。共通するのは、そこに白ワンピースの少女が登場することだ。ワンピースが白くないときももちろんある。しかし、彼女たちヒロインのイデアがまとっている衣装といえば、白ワンピースなのである。 現実でヒロインのような女性と縁がないからこそ憧れる、ゲームの中の恋。その恋に恋するゆえに、俺たちはありもしない日々に郷愁を感じ、夏になると彼女たちのことを思い出して、独り感傷に浸るのだ。 いや、その日感傷に浸っていたのは俺だけではなかっただろう。 八月も半ばにさしかかった夜、俺はある集会に参加するためにHMD(ヘッドマウントディスプレイ)をかぶり、VRChatを起動していた。 それは田舎の夏を模したワールドに、白いワンピースの改変をして集おうという、非常に胸の沸き立つコンセプトのイベントだった。 Twitterでその集会の存在を知った俺は、今日のために常用している美少女のアバターに慣れないBlenderで白いワンピースを着せた。飾りは胸に結ばれたリボンのみに留め、深い緑色をした髪に半透明の花を差しているのがこだわりポイントだ。 ドレスコードに沿った最高のアバターをまとい、意気揚々とイベント主催者にジョインした俺は、眼前の光景に息を呑んだ。 何人もの美少女が、それぞれ装飾の過多やデザインの違いこそあれど、皆一様に白いワンピースを着ている。ある者は髪をロリアバターにぴったりなお下げに結い、ある者はショールをまとってお嬢様風に仕上げ、ある者は敢えてショートパンツを穿いて活発な印象を出している。 彼らは皆美しく、そして。 俺と同じ、夏をともに過ごした美少女の幻想を胸に抱いていることは一目瞭然だった。 彼らの目にも、俺は同志として映ったのだろう。新しくジョインした俺に、彼らは温かく接してくれた。 互いの改変を褒め合い、スクリーンショットを撮る。田舎の家にありそうな古いカメラを持っているプレイヤーもいた。青い畳の家で、澄み切った海水に足を浸して、あるいは滅多にバスの止まらなさそうなバス停で。俺たちは思い思いに、互いの姿をカメラに収めた。 ああ、今日はなんていい日だろう……。 気の大きくなった俺は、社交的な性格でもないのにその場にいた人々に次々に声をかけた。集会の参加者全員の写真を撮るつもりで、ワールドのフォトスポットを移動していく。 ふと、リスポーン地点から離れた丘の上にある向日葵畑で、一人自撮りをしている少女が目に留まった。 彼は胸元に青いリボンをあしらったワンピースを着て、頭には向日葵の花を飾った麦わら帽子をかぶっている。その髪は黒く、長く、俺が理想とするヒロインに最も近い姿をしていた。 今日見た改変の中でいちばん性癖に近いな。ま、いちばんかわいいのは俺なんですけど。 そんなことを思いながら、俺は彼に近づき、愛想良く挨拶した。 彼は写真を撮る手を止めると、にっこりと笑った。 「こんばんは」 返ってきたのは涼やかな女性の声だった。音質からしてボイチェンではない、抑揚も女性らしいそれに、俺は一瞬どもってしまう。 「す、素敵な改変ですね。よかったら写真撮ってもいいですか?」 女性は俺の動揺に気づいてもいない様子で、軽く頭を下げ、ゆったりとした口調で言う。 「ありがとうございます。もちろんです、お願いします」 「じゃあ、何枚か撮りますね」 俺はカメラを構え直してスクリーンショットを撮っていった。先ほどは驚いてしまったが、VRChatの男女比が偏っているとはいえこの集会に女性がいてもなんらおかしくはない。白ワンピースに憧れがあるのは男性だけだろうと思い込んで、少し油断していただけだ。別に俺が童貞だからではない。女性のフレンドはいる。リアルにも異性の知り合いはいる。そんなに多くはないけれど。そもそも、両声類ということもあり得るのだし。 いけないいけない。写真撮影に集中しなければ。ほかの参加者にしていたみたいに、声をかけてみよう。 「……いいですね~」 ふふ、と彼女が笑う。控えめに礼を言われ、俺のほうが赤面してしまう。 だってほかに言い様がないのだ。彼女はかなりポージングが上手くて、ほかの人にしていたようにちょっと腕を上げてくださいだの、顔の角度を変えてくださいだのといった注文をする余地がない。そればかりか、よくそんなに思いつくなと感嘆するほどたくさんのポーズを取ってくれる。 俺好みの改変と相まってその姿は終始魅力的だったのだが、かえって口にできず、俺は適当なところでカメラを除けた。 「ありがとうございました。ポーズ取るのお上手ですね」 諦めて素直な褒め言葉を口にすると、彼女はそれまでの堂々とした動きから打って変わって、ぎこちなく俯いた。 「普段から自撮りして遊んでいるんです。あまり褒められたことがないので嬉しいです。ありがとうございます」 出会ってから数分しか経っていないが、その言葉は真実であるような気がして、俺も照れくさくなってしまう。 「海のほうってもう行かれましたか? アバターに青が入ってるので、そっちで撮ったらすごく映えると思うんです」 苦し紛れに話題を変える。こじつけと受け止められても仕方のないような提案だったが、彼女は明るく答えた。 「まだなんです。ぜひ行きましょう」 俺は時々後ろを向きながら、彼女を海へと先導した。彼女のネームプレートを見ながら、そういえばまだ名乗っていなかったな、と思った。 堤防に登ると、俺は彼女が追いつくのを待って立ち止まった。隣に立った彼女は、あ! とそれまでの淑やかさとはかけ離れた歓声を上げる。 「すごい、このシチュエーション、Airみたいですね!」 俺が無言で彼女を見ると、彼女はしまったというように口を押さえた。 「あ、すみません。好きなゲームの名前なんです」 「いえ……俺もAirは好きですよ。確かに、ヒロインが堤防に立つシーンとか出てきますよね」 驚くのも失礼かと思い話を合わせると、彼女は安心したように手を下ろした。 「そうですね、あのシーンを再現できるかもと思ったら興奮してしまって……」 もしかして彼女もなかなかにオタクなのかもしれない、という疑惑が湧く。そうだ、よく考えてみてほしい。オタクの共通幻想がドレスコードの白ワンピース集会に参加する女性なのだ。俺と同じく、恋愛アドベンチャーゲームの愛好家である可能性は高い。 いや、しかし今は触れないでおくのが無難だろう。こちらからディープな話をして引かれてしまったら傷つく。俺が。向こうから作品の名前を持ちだしたとは言え、急にエロゲの話で異性(?)と盛り上がれるほど、俺はアッパーな性格はしていないのだ。ていうか彼女が遊んだの全年齢版かもしれないし。 「じゃあ、海を向いて立ってください。俺は宙に浮いていい感じに撮るんで」 「すみません、お手数おかけします」 丁寧な物腰は淑女そのものだが、先ほどの発言を踏まえるとオタクらしい受け答えにも聞こえなくもない。それはそれとして。 「撮りますね」 「はい、お願いします!」 相変わらずポージングは完璧である。それどころかあのゲームのヒロインっぽいポーズを繰り出してくる。こうなると俺も興が乗ってきて、ゲームのスチルに似た角度で写真を撮った。ああ、これで金髪ロングの制服改変なら完璧なんだけどな……。 「ありがとうございます。私ばかりたくさん撮っていただいてすみません」 撮影を終えた彼女は、心から満足そうに言った。ひとに喜んでもらえて悪い気はしない。彼女はフルボディトラッキングで、俺は三点で堤防の上に並んで座る。 「俺も楽しかったから大丈夫ですよ。ただ、今のアバターも素敵ですけど、観鈴っぽい改変だったらもっと再現度高かったかもですね」 俺がすっかり気の緩んだ声で言うと、彼女も首肯した。 「私も思いました。観鈴も白ワンピースを着る場面は出てきますが、スチル再現となると制服がいいですよね」 「今度改変してもいいかもしれないですね」 「そうですね。そのときは写真撮影お願いしてもいいですか? 私も、ええと……エーテルさんの、沙耶改変撮るので」 「……え?」 彼女は俺のネームプレートから視線を下げたあと、ごく自然に言った。 「その改変、沙耶じゃないんですか? ほら、ワンピースの形とか、頭から下向きの耳が生えているシルエットとか……。あと、髪に挿している花も沙耶の翼イメージですよね」 「そうですけど、よく分かりましたね」 俺は感心して応え、自分の中で疑念が確信に換わるのを感じた。沙耶の唄といえば完全に成人向けゲームではないか。しかもジャンルはホラーでグロテスクな描写も含まれている。こんな楚々とした物腰だが、彼女が筋金入りのオタクであることは明らかだった。 彼女ははにかんで、短く答えた。 「オタクなので……」 俺は最初の緊張はどこへやら、すっかり腕をリラックスさせて伸ばし、微笑んで言った。 「シズルさんとは、いいお友達になれそうです」 初めて名前を呼ぶと、彼女は小さく頭を下げる。 「こちらこそ……。改めまして、シズルです。よろしくお願いします」 「エーテルです。あ、そろそろ集合時間みたいですね。先にフレンド申請だけ送らせていただきますね」 イベント主催者が海辺に散っている参加者に声をかけている様子に気づき、俺は手元を操作する。 「ありがとうございます。また……遊んでください」 「はい、いつでも」 フレンドになった俺たちは、二人が出会った向日葵の花畑にほかの参加者たちと集い、集合写真を撮った。ワールド固定したカメラに写る参加者の中、シズルさんも、花に負けぬ笑顔を咲かせている。 穏やかな喜びを胸に感じながら、俺はその日最後のシャッターを切った。