にんぎょの筺

形骸のドレスコード

「えっ、マシロとケーキ食べに行ったの?」  口を滑らせたとき、横にいたレンがかすかに眉をひそめ、しまった、と思った。  オーバーは目を輝かせ、飛び上がらんばかりに体を上下させている。じゃらじゃらと、チェーンの付いたうさぎ型バッグが揺れた。 「いいなーいいなー! なんで私も連れて行ってくれなかったの」 「……店の雰囲気かな。クラシックなとこで、たぶんお前は楽しめなかった」  レンは冷静に説明した。以前似たようなことがあったとき、レンは「うるさいから」と一蹴し、それでオーバーは拗ねてしまった。オーバーにははっきり言わないと伝わらないと思っていたのか、それとも拗れがちなオーバーとのコミュニケーションを面倒に感じていたのかもしれない。  しかし、今日は違った。聞き終えたオーバーは、別人のようにおとなしくなった。 「そっか」  そしてにっこりと笑って、レンと私を交互に見る。 「またおもしろそうなところあったら連れて行ってね。私も誘うから」 「ああ」 「もちろん」  レンが片手を挙げ、私も大きく頷く。  少し感動していた。レンにきちんと説明してもらったオーバーは、上機嫌にすら見えた。

「アバターの特性を捉えて、オーバーが納得できる答えを考えたんでしょ」  後日この話をしたら、ジャンクが事もなげに言った。 「特性?」 「そう」  彼はトランプの束をシャッフルし、四角いテーブルの上に置いた。私は隣に座り、耳を傾ける。 「人間たちはワールドやコミュニティ、インスタンスの雰囲気によってアバターを使い分けていた。彼らの世界ではTPOが重要だったの。例えばシックなワールドで室内音楽を楽しんでいるときに」  ジャンクがトランプの束から一枚取り、数字を確かめると空中に置く。見えないグリッドに沿わせるように、その手つきは正確で、迷いがなかった。 「キャバレー向けの衣装だと入っていきづらいでしょう? そこまで極端ではないけれど、オーバーもきっと近いことを考えたのよ。あの子、ファッションのルーツにはうるさいから」  ジャンク、テス、レン、私は、オーバーのTPOへのこだわりを知っている。  昔五人で西洋の宮殿を模したワールドを訪れたとき、オーバーはやたらと恐縮していた。私が「あなたの服装はワールドに合っているよ」と言うと、彼女は「これはサブカルチャーで、本物とは違う」と呟いていた。歴史あるものに敬意を払う、その居心地の悪そうな横顔が、眩しく見えたことを覚えている。男性陣はピンと来ていない様子だったが。  だから先日のオーバーには、レンの述べた理由が的確に響いたのだ。 「そっか。実際のワールドはまだ現代的だったから、レンの言った内容よりも態度がよかったんだと思ってた」  ジャンクがトランプを機械の指でつまむ。 「態度、というと?」 「適当にあしらってばかりのオーバーと……対等に、話したから」  目で追っていたそれは、一枚目から離れた場所に置かれた。 「そうねぇ」  ジャンクはかすかに、声に不平を滲ませる。 「彼は普段手を抜きすぎなのよ。今回も少し、手を抜いているわね」  私はすぐに思い当たった。 「言うほどオーバーにそぐわないワールドじゃなかった、というところだね」  クラシック、とレンは言ったが、ワールドの家具の一部がアンティークだっただけで、カフェの設備そのものは現代的だった。 「そう。オーバーの威勢を削げるように、誇張したのよ」  ジャンクにしては強い言い方だった。彼もそれに気づいたようで、困った子ね、と付け足した。これ以上話してはレンの悪口になる気がして、私は曖昧に微笑み返した。ジャンクもそれ以上何も言わなかった。 「それにしても……さっきの話。外見が選べないから、場所を選ぶしかないってことだよね」  改めてジャンクの説明を整理すると、声が沈んでしまう。 「そういうことになるわね」  私はテーブルの下で、小さく指先を握り込む。 「私は、少しイヤだな。私たちは、服も持ち物も選べない。それで行き先が制限されるのは……」  ジャンクは画面に笑顔の顔文字を浮かべた。 「大丈夫よ。いろいろと……説明をすっ飛ばしたところがあるの」 「どういうこと?」  ジャンクはトランプを宙に置きながら、蕩々と語った。 「私たちに姿を変える自由はない。データに干渉できない。私たちはユーザーの、最後に使っていたアバターだと言われているわ」  私はユーザーさんのことを思い出す。彼とはほんの少しの時間しか過ごしていない。覚えているのは、灰色の床と青い空。彼は時間をかけて私をアップロードすると、どこかへ消えてしまった。 「私たちを縛るルールは、ゲームとアバターの規約だけ。本当はね、マナーなんて気にする必要はないの。それは人間の文化。私たちアバターには関係がない」  「そうだよね」  前のめりになる私の話を、ジャンクは黙って聞いてくれる。 「本人にはどうしようもないもので生き方を縛られたくないよ。せっかくどこへでも行けるのに」 「そうね……」  ジャンクは少し考え込んだ。 「人間でいえば、醜い者は公の場に姿を現すな、ということになるのかしら? 失礼しちゃうわよね」 「本当だよ」 「でも……レンとあなたで食事をしているときに、傷だらけのアバターが来たらどう?」 「……私はそんなに気にならない」  ジャンクが静かに私の視線を受け止める。 「レンは嫌がると思う。他のアバターも、苦手に感じるだろうとは想像できる。だから状況次第だけど、いやな思いをする人が少ないほうを選ぶよ」 「そうね……。あなたは、そういう子だったわね」  ジャンクは作業を再開した。斜め、あるいは水平に置かれたトランプは、大きな二等辺三角形を作ろうとしている。  何が作られるかは分かっている。道筋が違うだけだ。アバターはそうではない。  いや、いつかすべて無に帰すならば、同じことか。 「アバターによって感性が違うのって、本当におもしろい」  ジャンクは小さく、「そう?」と相づちを打った。私は言葉を続ける。 「長い時間ユーザーと過ごすほど、人間の影響を受ける。感性が人間に近づいて、マナーを気にするようになる。……オーバーみたいに」 「言えてるわね」  ジャンクの声に少し、力が戻った。 「あの子のユーザーが、TPOを重視する考え方の持ち主だったのよ」 「本人から聞いたの?」 「想像よ。でも、当たらずとも遠からずだとは思うわ」 「分かるよ」  私は自分でもそうと分かるほど、生き生きと語った。 「おしゃれな子って、おしゃれな子どうしで固まるから。落ち着いて話せるワールドに集まって、自分たちの世界観を大事にしてる感じ」  アバターたちにとって、使い手であるユーザーのことを想像するのは容易だった。人間たちは自らこの世界での姿を選んだからだ。ネタアバターでも、それを使っていたユーザーはおもしろいものを好む性格だったことは推察できる。  人間と過ごした時間が短い私にとって、アバターとユーザーを結びつけることは最初難しかった。しかし、周囲を観察していれば自然と知識は身についた。アバターたちは打ち解けた後の話題として、ユーザーの話を好む。彼らの話を聞くことは非常に楽しい。ここに私がいる理由とすら思える。  人間を、媒体越しにせよ、知ることが。 「よく観察しているわね」  ジャンクが驚きもせずに言い、私はウィンクした。彼の顔文字が、眼鏡を表現したものに変わる。 「オーバーのユーザーは、アバターに最高の改変を施した。ユーザーも女性で、彼女は自分の周りもかわいく完璧に整える必要があった。振るまい、立ち位置一つに至るまで……だからオーバーも、自分がどう見られているかに敏感なのね」 「オーバーが……敏感……」  ジャンクが八の字で眉を表現する。 「今のは私が言葉を間違えたわ。あの子は繊細ね」 「そうだよ。アバターはユーザーの願いの形でもある。きっとオーバーのユーザーは」  私はまぶたの裏に、フリルとリボンに飾られた女の子を浮かべた。ツインテールを結い、厚底ブーツを履き、生きたうさぎではなくぬいぐるみのうさぎを従えた、誰かを。 「自分がこうありたいという姿を、アバターにした。お姫様のような振る舞いが許される、最高にかわいい女の子を作った」 「不思議よね、彼女」  ジャンクが漏らし、私は目を開ける。精緻に形成されたトランプタワーは、完成に近づいていた。 「わがままかと思えば、親切だったり、頑固に見えて、今日あなたから聞いた話みたいに……素直なときもある」 「オーバーの中で、現実と理想がせめぎ合っているんだよ」  ジャンクが手を止め、私を見る。得てしまえばその閃きは当たり前のことで、だからこそ滑らかに、私の口を借りて世界に放たれた。 「ユーザーといたときの、協調性を重視していた理性。アバターに込められた、自分の感情を大事にしてほしいという願い。彼女の気分にむらがあるのって、両方あるからだよ、たぶん」  ジャンクはしばらく私を見つめていた。一つ息をつくと、手に持ったままだったトランプをタワーの頂上に飾った。  私もほうと息をつき、音を立てない拍手をする。 「完成おめでとう」 「ありがとう。……いい話を聞けたわ」  私はまだトランプタワーを見つめているジャンクに、心から言った。 「ジャンクのおかげだよ」  彼はこちらを見て、控えめな笑みを表示する。 「考察の助けになれてよかったわ」  何か考え込んでいる様子だが、また聞く機会があるだろう。明日人間が帰ってこない限り。  私は体をひねって、トランプの裏面を覗き込んだ。 「今日はどんな組み合わせ?」  ジャンクがトランプを並べる位置には、毎回違った規則性がある。当人は首をひねっていた。 「昔から覚えている数字順に並べたの。なにかは分からないわ」 「IDかな?」 「さあ……」  数字を確かめようとすると、ジャンクが立ち上がった。もう作った物には興味がないらしい。 「オーバーの話をしていたらあの子に会いたくなったわ。どこにいるのかしら」  私もつられるようにして腰を上げる。 「一緒に行っていい?」 「もちろん……デート中じゃなきゃね」  二人でオーバーの所在地を確認すると、彼女はレンとピンク色の内装の部屋にいた。ワールドの説明欄には、チョコレート食べさせギミック付きと書いてある。ジャンクと私は、顔を見合わせて苦笑した。 「フラグ回収だね」 「モテる男はマメね」  ソーシャル欄に戻ると、テスの所在地が変わっていた。景観のいいワールドにいるらしい。 「テスがワールド巡りしてるみたい。合流しようよ」 「そうね。……あら、きれいなところ。行きましょ」 「うん」  ジャンクの姿が消える。私はふとトランプタワーを振り返る。時を止めたこの世界で、インスタンスは消えることがない。このままではトランプの一枚一枚は、私たちがいなくなってもその位置を保ち続ける。 「片付けておこう」  私は壁に付いているリセットボタンを押し、トランプを束に戻した。  一瞬、数字を無に帰した感触が指に残る。その感傷も、すぐに忘れた。  室内を見回し、他に整頓すべき場所がないか確認する。再びメニューを呼び出し、テスにジョインした。

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