Ever after
おめでとう。さようなら。またいつか。元気でね。 そんな言葉が交わされていたインスタンスも、深夜零時を回れば閑散とし始める。 今日はこのインスタンスに集まった人々のフレンド、リヨの送別会だった。 彼は転職をきっかけに、インターネットになかなか触れられない環境に移るということで、VRChatを辞める決心をしたのだ。 「リヨさん、転職おめでとう」 俺は何度目か分からない祝いの言葉を、皆が集まる鏡の前から離れたところで酒を飲んだいたリヨにかけた。彼は俺の伸ばした手に気がつき、リアルではグラスを持っているのであろう手を掲げる。 「ありがとう。クストさんにはお世話になったね」 俺は酒を呷ると、リヨの隣に腰掛けた。インスタンスはフレンドたちがリヨのために作ったワールドに立てられており、大きなケーキや文字の書かれた垂れ幕、風船や液体の入ったグラスなどが置かれていた。今それらのアイテムは宙に散らばり、送別会が賑やかに行われたことを示している。 今は思い思いに雑談に興じるフレンドたちを見て、リヨがのんびりと言う。 「なんだか不思議な気分だな。これが最後かもしれないのに、まるで明日もこんな日常が続いていくみたいだ」 俺はリヨにだけ聞こえるように、しずかに言う。 「みんな呑気だよ。彼らにとってVRChatは続いていくとはいえ、そこにリヨさんはいないのに」 「でも、私はそれが嬉しいんだ」 「嬉しい?」 ああ、と頷くリヨは、微笑するデフォルトの表情をこちらに向ける。 「必要以上にしんみりしないのがさ。何も言わずにふっといなくなっちゃう人も多い中、私はきちんと区切りをつけてみんなにお別れを言うことができた。こんなに素敵なワールドまで作ってもらってね。送別会が終われば、みんないつも通りの夜を過ごす。それがなんだか、この世界での別れらしくてさ。好きなんだ」 彼の朗らかな声が、それが彼の心からの言葉であることを物語っていた。俺はグローブに覆われた自分の手のひらを見つめて言う。 「そうか。俺は、リヨさんの望むような振る舞いはできないな」 「さみしい?」 「ああ、さみしいよ」 リヨは穏やかに話した。 「クストさんとは長い付き合いだね。同じくらいの時期にVRChatを始めて、イベントでもたくさん助けて……いや、私のほうが助けることが多かったかな」 俺とリヨは同じ接客イベントに所属する受付とスタッフの関係だった。俺はお客様の前に出る役割を担う一方、リヨはイベントの立ち上げ時から裏方周りのことを任されていた。 俺はリヨのほうを向き、至って真面目に言う。 「そうだよ。リヨさんがいなきゃ俺は自分のスケジュール管理もできない」 「何度も言ったじゃないか。私は君のマネージャーじゃないんだぞって」 言葉とは裏腹に、その声は明るかった。 「ああ。毎週金曜日になるとミーティングがあってさ、リヨさんにいつもリマインドしてもらってた」 「そうそう。クストさん、私を安心させてくれよ。私の後任はいるとは言え、君にはしっかりしてもわなくちゃいけない」 リヨは組んでいた脚を正し、とても丁寧に言った。俺は目を一度強く閉じ、息を吸った。 「分かった。しっかりやるよ。リヨさんがいなくなっても」 「頼んだよ。メンバーのことも、彼らのことも」 リヨは視線を鏡の前のフレンドたちに向ける。私はリヨの横顔を見ていた。 「うん。夢、叶うといいね」 リヨは大きく頷いた。フレンドたちの声が遠ざかり、彼の声がはっきりと聞こえる。 「ありがとう。きっと叶えるよ」 「叶ったら、ここに戻ってくる?」 リヨは笑っている。彼の好きな姿で。彼のためのワールドで。彼を愛する俺の目の前で。 ポリゴンでできた薄い唇が、彼の真心を紡ぐ。 「別れを告げなければならないほどのものが、この世界にたくさんあって幸せだよ」 「それはすべて、リヨさんの財産だ」 俺たちはどちらからともなく、見えない杯を合わせた。 「さようなら、クストさん」 「またね、リヨさん」