Drown in me
「ねぇ、どうして私とお砂糖になってくれたの?」 テラスに降りしきる雨の音を背景に、エリカはけだるそうな声で聞いた。 「どうしてだと思う?」 俺はわざと余裕ぶった口調で聞き返す。キングサイズのベッドに横たわったエリカは、ごろごろと寝返りを打ちながら言った。 「えー、私がかわいいから?」 「そうだよ、エリカはかわいいよ」 俺は横臥した姿勢からエリカの頭に手を伸ばし、その髪を撫でる。彼は表情を変えず、うわずった声を出す。 「ありがとう。でも、キアン、かわいい人なんてほかにもたくさんいるよ?」 「不安なの?」 「当たり前じゃん。それは私のアバターはかわいいけど、大して改変してるわけじゃないし、ムーブだって別に普通だもん」 確かにエリカはかわいらしいアバターを着ている。しかし改変には不慣れで、彼の好きな色にテクスチャを変えることしかしていない。それ以上の改変の仕方を俺は教えることはできたが、あえてしなかった。 俺はエリカを撫でながら、優しく否定する。 「そんなことないよ。エリカはかわいい。俺がそう思ったから、エリカとお砂糖してるんだ」 「それだけじゃ納得できないよ」 エリカは不満げに、ベッドの上で伸びをする。弛緩した彼の体は、丁寧にトラッキングされて電子空間で再生される。あれだけ運動をしたあとなのだ。俺は彼の濡れた嬌声を思い出しながら、首をかしげる。 「自分に自信がないの? エリカ。それとも、俺の言葉が信じられない?」 「キアンのことは信じてるけど、どっちかって言うと前半かな。私には何にもないし」 似たようなやりとりは今までにもあった。だから俺はエリカが次に何を言うか予想がつくし、それに対して何を言うべきか分かっている。 私、と語尾を伸ばしながらエリカは言う。 「おしゃべり得意じゃないし、何か作れるわけでもないし、VRChatの中で特別な存在じゃ全然なくて」 俺はエリカを撫でながら、彼が独り言のように話すのを聞いている。 「キアンにはじめて会ったときも、その場にいた人とぜんぜんしゃべれなかったじゃん? キアンだけが私に話しかけてくれてさ。ひとりぼっちでFriendインスタンス開いてると、キアンが来てくれて、ずっと二人っきりで話してくれて」 うん、と俺は相づちを打つ。エリカは少し恥ずかしそうに、言い足した。 「そんなふうに私と接してくれたのはキアンだけだったから、私もキアンのこと好きになって、キアンとお砂糖になれたらいいな、と思ってたらキアンから告白してくれて……」 「そうだよ。そうやって長い時間を過ごした特別な存在は君だけだったから、俺はエリカに告白したんだよ」 俺があやすような声を出すと、エリカはきっとこちらを睨んだ。 「ってことは、誰でもよかったってことじゃん。長く一緒にいれば。私じゃなくても」 鋭く言う彼を、俺は見つめる。エリカはすぐにうなだれて、小さな声で謝った。 「ごめん。私のこと好きなキアンに、言うことじゃないよね。私が悪いのに」 「俺も悪かったよ、エリカ」 俺は努めて柔らかい声を出す。エリカの耳元に顔を寄せ、暗示するようにゆっくりと語りかける。 「俺の伝え方が不十分だったね。エリカ、俺は恋するのに理由なんて要らないと思う。理由なんてあったら、かえって別の人を好きになっていいことになると俺は思う」 「どういうこと?」 エリカはか細い声で問う。俺は、そうだな、と前置きして言った。 「たとえば、俺がある人を好きだとする。俺のその人の好きなところは、優しくて、頭が良くて、イベントのキャストをやっているとか、何か物作りをしているからとか、だとする」 「うん」 「でも言い換えればそれは、同じように、優しくて、頭がよくて、何かしら趣味を持っていて、という要素があれば、他の人でも好きになる可能性があるということなんだよ」 「そうなの?」 俺は力強く頷いて、エリカの目を覗き込んだ。 「ああ、そうだ。好きなところがすぐに思いつくということは、他の人でも代替可能ということだよ」 エリカは喉の奥で唸り、枕に頭を埋めた。彼が俺の言葉を咀嚼している間、俺は彼の頭を撫で続けた。 やがてエリカは、押し潰したような声でゆっくりと訊いた。 「つまり、私の好きなところはっきり言えないから、キアンは私のこと代わりが効かない存在だと思ってるってこと?」 そうだよ、と俺は言う。心を込めて、理解のある善良なお砂糖相手、のふりをする。 「こんなに長い間一緒にいたのはエリカだけだ。他の人とはできない話もたくさんした。エリカとしか見られなかったものもたくさん見た。だからね、エリカ」 俺はお砂糖相手を抱きしめて言う。目を閉じて、ループバックされる自分の声に耳を傾ける。 「君のことが好きなんだよ」 エリカがにへへ、と笑う。本当は耳障りに感じているお砂糖相手の笑い声。彼の濁った声は好きではない。アバターも大して俺の好みではない。話していて楽しいと、この人が好きだと感じたことは、一度もない。 なぜそんな彼に告白したのかというと。 「私も、キアンのこと大好き。これからもずっと、一緒にいてね」 エリカは俺の答えに満足したのか、打って変わって上機嫌に言う。俺は本心を告げる代わりに、微笑みの表情をアバターに浮かべる。 「ああ。これからもずっと一緒だ」 ただ、誰にも欲しがられない君だから、自分のものにしたいと思ったんだ。 エリカが俺の本心を知ることはない。俺たちの関係はこのままずるずると続いていく。エリカのほうから関係を切ることはないだろう。だから、別れるときは適当に理由をつけて、俺のほうから切り出すことは決めている。 理由なんて今からでも思いつく。それを並べ立てれば、自己肯定感の低いエリカを納得させることは容易だろう。エリカは泣くだろうが、俺は泣かない。 俺ははじめから恋なんて、していないからだ。 「あ、そろそろトラッカーの充電切れそう」 待ち望んでいたエリカの言葉に、俺は残念そうな声を出す。 「そろそろ寝なきゃだね」 「うん。すっごくさみしいけど、今日はここでお別れだね」 「また明日会えるよ」 「そうだね。……また明日。おやすみ、キアン」 「おやすみ、エリカ」 俺はエリカがインスタンスから去ったのを確かめてから、VRChatをログアウトした。ようやく一人きりになれた部屋で、大きく息を吐く。 シャワーと歯磨きをして、狭いベッドの上に横たわる。ヘッドマウントディスプレイとトラッカーを外した体は、泣き出したいほど身軽に感じられた。