にんぎょの筺

Case.5 Writer

「私がVRChatを始めてよかったことは、直近の思い出が印象深いのでそれをお話ししますが、みんなでなにかを作ることの楽しさを知ったことですね。  私は元々二次創作で小説を書くのを趣味にしていて、いちばんの趣味と言えば同人誌を作って同人即売会で頒布することでした。VRChatに出会ってからは、VRChatの人々に直接伝えられないお礼を小説を通して言いたいという思いから、VRChatを舞台にしたオリジナル小説を書くようになりました。VRChat小説も本にして、同人即売会で頒布することはあります。  同人即売会はご存じですか? はい、コミックマーケットやコミティアなんかが有名ですね。あと最近では、ComicVketやNEOKETといったオンライン同人誌即売会も活発なんですよ。私はそういったイベントに、サークル側として参加しています。  同人活動のほとんどは執筆なので、当然私の趣味には孤独がつきまといます。もともとインドアな人間なので、一人でいることはそれほど苦ではないのですが、小さなサークルにつきたくさん本が売れて、感想が返ってくるということも稀なので、多少の寂しさを感じずにはいられませんでした。  喩えるならば、自分は周囲を海に囲まれた孤島に住んでいて、作品を発表するときは小舟に本を載せて、海に向かって送り出すようなイメージですね。私にとって長らく創作活動とは一方的なコミュニケーションで、読者の存在をほとんど意識したことがなかったのです。  さて、そのように暇を見ては身の回りで起きたことを自分なりに消化して小説にしていた私ですが、物語を作ることができる人間ということで、あるときVRChat内の劇団で脚本家をやってみないかと声をかけていただきました。  声をかけてきたのは、同じ演劇を観て感想を言い合ったり、お互いの小説を読んでいたりする友人でした。彼女はVR劇団を作るつもりで、団員を集めるべく勧誘を行っていたのです。私はそんな彼女の役に立てるなら、脚本など未経験ですが、物語を作ることには興味があるので劇団に所属してみてもいいかなと考えたのです。  しかし、私は自分の見込みが甘かったことをすぐに思い知ることになります。劇団に入ってすぐ、脚本の仕事として練習に使う短い台本を書き下ろす機会があったのですが、これがなかなか難しかったのです。  小説と台本は違います。台本は言葉だけで情景描写を行い、登場人物の心理を伝えなければなりません。舞台に関わっている全員のコンテキストが一致できるように、登場人物の使う言葉の一つ一つに気を遣う必要がありました。これは、趣味の小説を書いている上ではさほど求められない技術でしたので、最初はかなり苦戦しましたね。  ただ、そうやって書いた台本が団員の方たちによって演じられている様子を見るのは楽しかったです。小説と違い、目の前で私の書いた台本が解釈され、生身の人間から声や動きが発せられている様を見ることは、新鮮で、貴重な体験でした。  また、劇団の最初の練習会で、演劇で最も大切なことはコミュニケーションだと教わりました。それは台本執筆や、劇団の活動において念頭に置く言葉になったばかりではなく、私のVRChat生活にも影響を与えるようになりました。  それまでの私のVRChatといえば、すでにメンバーの固定されたグループで遊ぶことが多く、かなり閉鎖的なコミュニティの中で楽しんでいたのです。それぞれのパーソナリティをよく知っているからこそ、気の置けない冗談が飛び交う場は、居心地こそとてもよかったです。しかし、自分や他人の役割が固定化されていることで、コミュニティの中で自分が成長していく実感には乏しかったように思います。  一方、劇団は演劇に興味のある人々が集まっているという特色こそあるものの、私が普段交流しないような界隈の方がほとんどでした。そういった方々と言葉を交わし、劇を通して彼らを知っていったり、また練習会の外で彼らと遊んだりすることは、私の人間に対する知見を深めたり、コミュニケーションの仕方そのものを見直すきっかけになったりしました。  劇団に入ってからは、小説を書く時間は少なくなってしまいましたが、人間の生き様を描く上では欠かせない生身の人間との交流という、創作者として本来やるべき行為を積極的に行えていると思っています。  それを生かすというか、こうして積み上げてきたことが試される機会は、劇団に所属して半年ほどが経ったころ訪れます。私の脚本で一つ舞台をやることになったのです。その脚本はそれまで書いてきた短い台本とは異なり、ボリュームと起承転結とテーマを持つ内容が求められていました。  私は劇団における上司に断って長い原稿期間をもらい、劇団の看板を背負って出す作品として恥ずかしくないものを、と悩みながらプロットを書いては捨て、途中まで書いては捨てを繰り返し、ついに一本の脚本を書き上げます。  それを劇団の練習会で批評してもらい、修正を加えました。覚悟はしていましたし、それは皆さんが作品に対して真剣に向き合ってくれているという証拠に他なりませんが、劇団員によって改善すべき点が次々に上がっていく様子を見ているときは心身が強ばってしまいましたね。少し自分の脚本に対して、自信がなくなった瞬間もありました。  それでも、最終稿を提出して、そのほかキャラクターや舞台の設定について資料を作り、オーディションをやる段階になると、絶対にこの舞台を成功させたいと身が引き締まる思いがしたものです。  この舞台において、私は脚本家兼演出でした。しかしサブの演出として、演劇、演出、演技指導すべてにおいての技術の高い方に一人就いてもらいました。私も演出については本を何冊も読んでどのようにして練習を進めるべきか学んだり、照明やBGMの案を作ったりもしましたが、元が引っ込み思案な小説書きですので、人前で皆に指示を出すということができず、練習の進行はほとんど彼女任せでした。  しかし、私は自分がこの舞台の責任者という自覚は強く持っていましたので、自分にできる事務的なことや劇団内の他の部署との連携、舞台で使うアバターや小道具に関するUnityを使ったバックアップなど、拾えるタスクはすべて拾うつもりで、この舞台に取り組んでいました。  生まれて初めて、プロジェクトマネージャーという役目を全うしようとしていました。今まで一人で字ばかり書いていたような、内向的な人間がです。学生の身分であった私は、その本分もそこそこに、全力でこの舞台に取り組んでいました。  当然、うまくいかないこともありました。他の部署の方に負担をかけてしまったり、スケジュールが押した結果、わざわざこの舞台のために作ってもらった小道具の使用を見送ったりしたこともありました。練習中に舞台照明や音響がうまく働かず、もう一人の演出や俳優に迷惑をかけたこともあります。楽しいことばかりではありませんでした。でも、自分の役目から降りようと思ったことは一度もありませんし、このプロジェクトが始まる前にこの仕事がこれだけ大変だと知っていても、私はこの仕事を引き受けただろうという強い確信がありました。  俳優たちは全員が自分の役に深く思い入れ、熱心に練習に取り組んでくれています。舞台を作ってくれている団員も、プライベートの時間を削って、複雑な演出を叶えようとしてくれています。もう一人の演出の方など、私以上にこの舞台に真剣に取り組んでいてくれているのではないかと思うほどでした。いつも進捗を気にかけてくれる団長はもちろん、プロジェクトに関わっていない団員も、公演の広報や当日のスムーズな進行のために力を貸してくれます。  これはもう私だけの作品ではない。皆でコンテキストをすりあわせて、この舞台を初めて見る人々に、彼らが感動してもらえるように届けよう。  誰も口にはせずとも、思いは一つだったと信じています。  けれども、私の中にはもう一つ、誰にも言ってはいない思いがありました。  彼らの前ではその様子を出さないようにしていましたが、日夜劇団のタスクに追われ、私のリアルの生活はぼろぼろでした。ふとしたときに涙を流してしまうときもあり、そんな私を見かねた妹が気晴らしにとドライブに誘ってくれたのです。  幼いころよく二人で遊んだ自然公園で、VRとは比べものにならない解像度の、匂いも湿度もある森の中を歩いているときのことでした。私がその美しさに静かに感嘆の声を上げていると、妹は少し呆れた顔で言いました。 『VRでばかり遊んでいないで、こういうのも見に来ようよ。家の外が本当の世界のなんだから』  私は冬枯れた森で、地面の落ち葉を踏みながら答えます。 『そうだね。劇団の仕事が終わったら、VRChatから離れるよ。本業である大学の勉強にも、いちばんやりたい小説にも身が入らないし、これ以上VRChatで物作りを続けるのは難しいや』  ここまで私は、劇団で得た貴重な経験と人間関係について語っていましたが、同時にひどく疲れていたのです。私は自分が時間のたくさんある身分であるというアドバンテージを生かして、皆のぶんの仕事も引き受けるつもりで働いてきました。実際は、もがくばかりで大した実益は生み出せていませんでしたが、だからこそ自分がやらなくても、これから先のことは誰かが上手くやってくれる、という考えが私を支配していたのです。  では、辞めるのは劇団だけでよくて、VRChatまで辞める必要はないではないかというと、そうではありませんでした。  ある時期から私の手にはひどい肌荒れが起きて、パソコンの操作や家事に支障を来していたのです。病院で診てもらって原因が分からないとこのことでしたので、自分なりに生活の仕方を変えてみた結果、どうやらそれは不規則な生活とストレスに起因していることが分かったのです。  VRChatterの主な活動時間帯は夜です。特に私のフレンドは、深夜に集まって遊ぶ傾向があります。彼らに合わせてVRChatで遊ぶことが、体調不良の原因であることは目に見えていました。  私は、学生であるほかに、睡眠障害者でもありました。かかりつけの医者に叱られるたび、仮想空間での人間関係の大切さを説き、目こぼしをもらっていたのです。  私の体調には、妹だけではなく母も心を痛めていました。大切な家族をこれ以上心配させるわけにはいかないと、VRChatからの引退を真剣に考えていたのです。 『VRChatの仕事が落ち着いたら』  私は裸になった桜の梢を見上げている妹に向かって言います。 『またここに連れてきて。そのころには、温かくなって、桜も咲いているだろうし』  妹は笑って、もちろん、と答えました。身近にいる人間の温かさに触れたことで、私の心はいくばくか癒やされました。  舞台の練習は大詰めとなり、公演の広報も打たれました。当日のスタッフも交えて、リハーサルも行いました。本番が一週間後に迫る中、私は最後の調整に奔走しながらも、これで全部終わりか、という一抹の寂しさを感じてもいました。  そして迎えた公演の日。舞台に上がる前の俳優たちに向かい、私は言いました。 『舞台は、小説にも映画にもない、リアルタイムで進行する観客とのコミュニケーションという特色を持っています。あなたたちは舞台の上では物語の登場人物ですが、第四の壁を越えて観客にこの物語のメッセージを訴えるつもりで、演技をしてください。観客にそれが伝わるとき、舞台の上の物語は現実を越えます』  今日は頑張りましょう、よろしくお願いします。そう言って演説を締め、俳優たちの顔を見渡したとき、彼らの中に私の言葉が響いている手応えを感じました。  それは確かに、舞台の上で証明されることになったのです。  劇場に観客が入ってきて、開場前のアナウンスが終わった後、最初のBGMとともに幕が上がります。舞台の上に立っているのは俳優が演じる一人の少女。主人公である彼女と父親のやりとりは親子のそれそのもので、二人の脇役も、出番が少ないながらも非常に印象深い演技を見せてくれます。星空の下で紡がれる親子の愛の物語が、静かに聴き入る観客の心を揺さぶることを信じて、私は舞台裏の操作を続けました。  何ヶ月もかけて、何度も練習を重ねて、そうして練り上げた舞台が終わるのは一瞬のことでした。気がつけば私は、物語の終わりを演出する爽やかなBGMの中、カーテンコールのために舞台に戻ってきた俳優たちと拍手する観客を潤んだ瞳で見つめていました。  俳優たちに向かって表示されるいくつものスタンプ。耳を澄ませば誰かのすすり泣きも聞こえます。  私たちの物語は、ようやくここに実を結んだのです。  俳優たちが別れを惜しむように手を振り、幕が閉じたあとも、私の熱は冷めやりませんでした。舞台関係者に緊急連絡用として繋いでいたDiscordで皆に礼を言いましたが、言っても言い足りないほどでした。  俳優と観客が交流している劇場に降り、彼らに挨拶をしながら、たくさんの感想を受け取りました。舞台関係者が声をかけられ、満ち足りた笑顔でそれに応えているのを見て、温かな喜びが胸に広がりました。  みんなで作った舞台。一人で小説を書いているだけでは、決して見ることのできなかった景色。誰か一人欠けても、今日この舞台は成立しなかった。  演劇って最高だなと思いました。またこの景色を見たい。みんなでなにかを作り上げたい。  私は、VRChatも劇団も辞めずに、物語ることを続けていこうと思いました。  公演から一週間ほど経ち、よく晴れた日に私と妹は再びドライブに出かけました。目的地は以前彼女と訪れた自然公園。そこで白い花を八分咲きに咲かせた桜を見ながら、私は言いました。 『ちょっと今までは根詰めすぎたけど、これからは外に出てリフレッシュしながら、ネットの活動を続けるよ。今回の舞台で、だいたいの要領はつかめたし、次はもっと上手くやれる気がする。君とももっと遊びたいから、またドライブに誘って』  妹は苦笑こそしましたが、姉と遊ぶという約束は結んでくれました。今では私の家に遊びに来たり、一緒に映画を見に行ったりしています。  私のVRChatを始めてよかったことは、以上です。あまりVRChatらしくない内容ですみません。  ええ、まぁ、確かにそうですね。VRChatでなければ私は劇団に所属しようと思わなかったでしょうし、遠く離れた場所に住んでいる人と演劇の話をすることもなかったでしょう。あの舞台に限って言うならば、VRならではの演出もできましたしね。  それに、VRChatが私に与えた影響でいえば、こうも気づいたのです。  今まで私にとって小説を書いて発表するという行為は、一方通行のコミュニケーションだったというお話はすでにしました。  しかし、読者の方々が一人の部屋で、通勤電車で、学校や職場の休み時間に、本を開くとき、彼らは私が舞台袖から見た観客と同じように、物語の世界に没入して喜んだり悲しんだりしてくれていたことを、私は見落としていたのです。  私からは、彼らの様子は目に見えないだけ。見えないだけで、私たちは確かに、作品を通して繋がっているのです。  これから先、私は一生をかけていい作家になりたいと、心から思っています。  ありがとうございます。先日の演目は好評にお応えして再公演を行おうと考えていますので、そのときはぜひ観に来てください。お待ちしています。  そういえば人違いだったら申し訳ないのですが、以前マテリエさんのインスタンスでお目にかかったことがありませんか? そうです、はい、当時は私も初心者だったので、アバターは違いましたしお話もほとんどしなかったと思いますけど……覚えていただいていて光栄です。やっぱり記者さんって記憶力がいいんですね。  マテリエさんも大変でしたよね。相手の方から証拠画像こそ上がっていましたけれど、私はあれ、捏造ではないかと疑っているんです。ほら、スクリーンショットってあとからいくらでも加工できますから……。  それなのに、マテリエさんのことをよく知らない人の間にもあのツイートが出回ったことで、マテリエさんがVRChat界隈全体で袋叩きに遭ってしまったんですよね。  荒しはスルー、とは古のインターネットからの金言ですが、私は逆に、あのとき声を上げなかったことを後悔しているんです。結局声の大きい人たちのせいで、マテリエさんはVRChatから姿を消してしまいましたし……。  もしもあなたがマテリエさんとお会いすることがあれば、こう伝えてください。  今の私があるのは、あの日初心者案内をしてくれたあなたのおかげです。ありがとう。そして、大事なときに力になれなくてすみません、と。  それでは、インタビューお疲れさまでした。お礼を言うのはこちらのほうですよ。元がシャイな小説書きなもので、なかなか自分の話をする機会が持てませんから……今日あなたとお話しできて、よかったです。ありがとうございました」

 編集メモ:

 リアル女性だが使用アバターは私服の男性のもの。  彼女が脚本を務めた公演は満員御礼に終わったらしく、Twitterでは感想も散見された。  VRChatを辞めることも考えたが続けることにした彼女の話は、マテリエにとって刺激になるのではないかと期待している。  彼女のマテリエへのメッセージを記事に載せることはないし、万が一私が彼と再会できたとして、私の口から伝えるのは違うだろう。できれば彼がVRChatに戻ってきて、彼を想う人々から直接伝えられるのが望ましいが……それこそ夢物語だ。分かっている。  今回の話者でインタビューは終わりだ。記事がマテリエの目に留まるかは、今後の編集と広報にかかっている。  たった一人に届くように、たくさんの人に向けた記事を。  この誰も知らない私の悪あがきが、私の知らないところでもいい、実を結びますように。

#VRChat #はじめてよかった!VRChat体験談集※この物語はフィクションです #短編