Case.4 Gamer
「VRChatを始めてよかったこと……ゲーム仲間が見つかったことでしょうか。それもたくさん。 私は幼いころからゲームが好きで、学生時代テスト前なども寮の消灯時間が延びたのをいいことに友だちとゲームばかりしていました。社会人になってからもゲームとボイスチャットのあったおかげで、友だちとの縁を保つことができたとも言えます。 仕事はゲームとはまったく関係のない分野なんですがね。その反動か、帰宅してからはVRChat、もしくはそこで知り合ったフレンドとゲームをして過ごしています。もともと夜更かしをする習慣がありましたが、VRChatを始めてよりそれが深刻なものになりました。まあ、ショートスリーパーなので体調にはそれほど影響はないのですが。 VRChatではイベントスタッフとしての活動が多いですが、身内ではゲームワールドを訪れることが多いです。Discordに身内が新しいゲームワールドの情報を投下すれば、その夜には皆でそのワールドを訪れます。自分が実際にサバイバルゲームやRPGの世界にいられるような体験ができるのは、VRならではですよね。 終わらない放課後、と誰かがVRChatのことを称して言いましたが、本当にそのとおりだと思います。小中学校のころに、友だちの家に集まってコントローラーを握っていた感覚を、ここではよく思い出します。ここではリアルのことを忘れて、ありのままの自分として過ごすことができる。本当に、貴重なことです。 ただ、今の私の日常は、人間一人の犠牲の上に成り立っているということを、忘れてはいけないと常々思っています。 後悔はとっくに終えていますが、それでも、私が傷つけてしまったその人について、考えない日はないんです。 それについて、お話してもいいですか? ありがとうございます。では、私がVRChatを始めたこと、その負の面についてお話ししましょう。 私には、VRChatを始める以前から恋人がいました。 彼女とは学生時代の友人で、卒業後何回か食事をしているうちにお互いに好意を抱き、交際に発展しました。お互い長い付き合いでしたので、気心の知れた、いい彼女でした。 遠距離恋愛だった私たちは、彼女が地元で仕事を辞めたタイミングで、私が仕事をしている地方の街で同棲を始めました。 最初は楽しかったですよ。多くの恋愛がそうであるように、私たちは自分たちだけでくつろげる家を手に入れ、毎日彼女の手料理を食べ、夜は同じベッドで眠って、それは幸せな時間を過ごしました。 同棲を始めたてしばらくは、仕事の時間以外は彼女中心の生活を送りました。それくらい、彼女のことを愛していたんです。 ただ、一つ懸念がありました。私たちが住んでいたのは、彼女にとっては地元から離れた見知らぬ土地です。早速始めたアルバイト先の人々ともプライベートで親交があるわけではない。友だちとも気軽に会えず、インターネット上の友だちも持たない彼女にとって、この家で私がいない時間は孤独なものであったことは明らかでした。 自分の会社の人にも彼女を紹介しましたが、引っ込み思案な性格の彼女はあまり彼らと交流を持とうとしませんでした。習い事も提案しましたが、彼女がやりたい習い事をやるには都市部まで出る必要があり、人混みや乗り物が苦手な彼女は気が進まないようでした。 それならばと、私が彼女に勧めたのはゲームでした。オンラインゲームを通してなら、他人とすぐに仲良くなれるし、ボイスチャットを使って手軽にコミュニケーションを取ることができる。 自分がかつて救われたゲームなら、彼女の心の拠り所になるのではないかと考えたのです。 私は彼女にもできそうなゲームを探しました。彼女自身にも、彼女ができそうなゲームがないか探してみるよう言いました。彼女は小さなノートパソコンにSteamをインストールし、ゲームを探しました。 一週間ほど経って、彼女が私に告げたのは、『VRChatならできそう』、という言葉でした。 私もそのゲームのことはインターネットの記事やSteamのランキングで知っていましたから、本格的に知識を仕入れるのに時間はかかりませんでした。ちょうどゲーミングノートパソコンを買い換えようと考えていたタイミングだったこともあり、私は自分用にはグラフィックボードを備えたパソコンを買い、ノートパソコンは彼女に譲ってVRChatをしてもらおうと考えました。 ああ、当時はまだスタンドアロンのHMDは売られていなかったんです。HMDメーカーの選択肢はHTCかOculusがありましたが、私は遊べるゲームの幅がより広いHTC社のVIVEを選びました。 VIVEのHMDを注文してから、届くのに一ヶ月ほどかかりました。大きな梱包を解き、二人がかりでベースステーションの設置をしました。 初めてVRを体験した日は、楽しかったですね。私たちは交互にHMDをかぶり、ミニゲームでアイテムが思いどおりに動けば歓声を上げました。ひとしきり遊んだあとHMDの跡の残る顔を見合わせて、『みんなこっちの世界に来ればいいのにね』なんて笑い合ったものです。 そして、私たちは当初の目的どおり、VRChatをパソコンにインストールしました。 事前に用意していた私のアカウントでログインし、ホームワールドのポータルから適当なワールドへ。そこでは外国語しか聞こえなかったので、私はすぐに日本人のいるワールドがないか探すことにしました。 傍らにいた彼女がスマートフォンで検索すると、少なくはありますが日本語話者のためのワールドが存在するようでした。 そのワールドのPublicインスタンスに行き、私は周囲から日本語が聞こえるのを聞いて、ほっと安堵の息を吐きました。 ただ、プレイしているのが男性ばかりであること、センシティブなアバターも少なくないということに、彼女は忌避感を覚えるのではないかと心配になりました。 その予感は的中します。翌日私のいない時間帯にVRChatにログインした彼女は、入ったインスタンスでセクハラ行為を目にし、その場にいた人々と言葉を交わすこともなくログアウトしてしまったのです。 彼女から話を聞き、Publicインスタンスは無法地帯のようなものらしいから、とフォローしてみましたが、彼女はそれから二度と日本語話者向けのワールドに行くことはありませんでした。 私はオンラインゲームによってそのあたりの耐性はついていたので、そのような事件があったあともVRChatにログインし続けました。同じようにVRChatを始めたばかりだという方々とフレンドになり、ワールド巡りをしたり、何気ない雑談に興じたりしました。 私がゲーム好きだと知ると、フレンドたちはSteamのフレンドコードを交換しないかと言ってきました。ある程度彼らの気心を知った私は、フレンドたちとSteamでも繋がり、ゲームをするようになりました。 仕事から帰ってきたら、彼女の用意した夕食を食べ、すぐにVRChatにログインするか、オンラインゲームに熱中する私を見て、彼女はどんな気持ちだったのでしょう。 彼女は自分の部屋にこもって、本を読むようになりました。もともと読書が好きな彼女でした。彼女の生い立ちは、ある程度私は聞いて知っていました。ゲーム禁止の家庭で育てられ、大人になってようやく自分の憧れだったゲームをプレイするまで、自分もゲームへの強い抵抗感があったこと。 そんな彼女だから、『VRChatなら』という言葉が出たのでしょう。しかし、彼女はその世界になじめなかった。あの事件から数度、HMDをかぶったこともあったようでしたが、友だちが見つからず、ついにログインすることもやめてしまったようでした。 一方で私は、ますますVRChatにのめりこみました。トラッカーも買い、フルボディトラッキングをしてVRChatの中で遊びました。フレンドの影響でアバター改変にも力を入れるようになり、当時はBOOTHのアイテムも充実していませんでしたから、自分で何時間もかけてモデリングを行いました。 自分好みに改変したアバターを、フレンドたちは褒めてくれました。私はスクリーンショットを何枚も撮り、寝る前に彼女に見せました。彼女は大して興味を持たない様子でした。彼女にとってVRChatは過去のこと、すっかり異文化のことになってしまったようでした。 私はそれを深刻に受け止めはしませんでした。お互いに趣味があって、夜はそれぞれ好きなことをして過ごす。その習慣を、彼女も受け入れてくれているものだと信じて疑わなかったのです。 それに、そのころには彼女の前にいる自分よりも、フレンドに見せる自分の振る舞いのほうが、本来の自分らしく、性に合っていると感じるようになっていました。彼女の前では滅多に上げない大声で笑い、軽快なジョークを飛ばし、ゲームやインターネットの話題に花を咲かせる。彼女と過ごすより、フレンドと過ごすほうが、何倍も楽しいと、はっきりとは思わずとも、うすうす感じていたことは認めざるを得ません。 季節が巡り、OculusからQuestが発売されると、VRChatの人口は爆発的に増えました。より多くのフレンドがほしかった私は、アバターにQuest対応を施し、積極的に初心者を案内しました。 いつの間にか私の周りには大きなコミュニティができあがり、私はその中で要の人物の一人となっていました。私のもとには、様々な話が舞い込んでくるようになりました。コミュニティの相談から、イベントスタッフの誘い、ゲームのコーチなど……。 現実世界でそこまで必要とされた経験を持たなかった私は、喜んで彼らの話を聞き、片っ端からその申し出を受けました。 私のVRChat生活は、ますます忙しいものとなりました。毎夜なにがしかの会議やイベントがあり、休日には昼間から開催されているイベントに顔を出したり、ゲームの指導をしたりしました。 そのころには、彼女と話す機会はすっかりなくなっていたと思います。 彼女は一度、私に『一日五分でいいから、寝る前に私と話をしてほしい』と言いました。私はそれに返事をしましたが、その約束を守ったのは一度きりでした。 彼女は二度と、その約束を持ち出しませんでした。代わりに、彼女の私への視線は非難めいたものになりました。食事の時間が唯一私たちが同じ部屋にいる時間でしたが、話しかけるのは彼女ばかりで、その言葉もどこかぎこちないのです。私もVRChatのことで頭がいっぱいだったのでしょう、ろくに返事をした記憶がありません。 でも、だからと言って私は彼女の存在を忘れていたわけではないのです。愛がなくなったわけではないのです。彼女が同じ家の中にいて、そのように話しかけてくれるだけで、私は彼女からの愛を感じることができました。これだけ長く同棲していれば、初期のときめきが薄れるのは当然です。彼女も本ばかり読んで、私が譲ったノートパソコンで小説を書いています。お互い打ち込めるものがあるなら、それでうまく生活が回っていて、そのうち結婚までできるものと思っていたのです。 そんな私の甘い期待は、ある夜唐突に裏切られることになります。 ある日の夜、私がVRChatを終え、彼女のいる寝室に入ると、彼女はベッドの上でスマートフォンをいじっていました。 私たちは会話をせず、部屋の明かりを消しました。いつもどおりのことでした。 心地よい疲労を感じていた私は、すぐにまどろみ始めましたが、唐突に彼女がなにか叫んで、私の脚を蹴ってきたのです。 私は驚いてはっと目を覚ましましたが、暗闇の中彼女の表情を窺うことはできませんでした。 彼女はなにも言わず、ゆっくりと寝室を出て行きました。私はため息を吐いて、もう一度眠りに就きました。 それから、それほど時間は経っていなかったはずです。私はガラスの割れる音で、目を覚ましました。 続いて聞こえたのは、彼女のくぐもった嗚咽です。私は飛び起きて寝室のドアに向かいました。ドアに鍵はありません。ドアノブは容易に回りましたが、ドアの外になにか重いものが置かれているのか、内側から開けることはできませんでした。 私は彼女の名前を呼びました。彼女は答えず、嗚咽を上げるばかりです。私は何度もドアを押して、ようやくそれを開けることができました。ドアの前には、彼女が買いためた食料の段ボールが置かれていました。 私は廊下を走ってリビングに向かいます。あっさりと開いたリビングのドアの向こうに、うずくまる彼女の姿がありました。周囲には二人で買ったワイングラスの破片が散らばり、彼女はその破片で手首を切っていました。 私は彼女を背中から抱きしめて、『やめてください』と懇願していました。彼女は手首から血を流して泣くばかりです。真っ赤な鮮血に目眩がし、彼女の痛ましい姿に目頭が熱くなりました。 私がそばにいて背中を撫でていると、彼女は次第に落ち着いて、私に傷の手当てをさせてくれました。私は先に彼女をベッドに行かせ、散らばった破片を片付けました。 そうしているうちに私の頭は冷め、今度は、どうして私がこんなことを、という理不尽への怒りが湧いてきました。仕事で疲れて帰宅し、遊んでから心地よく眠れると思ったのに、部屋に閉じ込められ、ワイングラスを壊され、その後始末をさせられているということに、やり場のない憤りを覚えました。 愛している彼女が傷ついたことは、もちろん悲しい。しかし、それも彼女の計算だったと私は考えていました。自分の体を人質に、そんなことをすれば私が悲しむと分かっていながら、それに死ぬほどでもない傷を負わせたことは、彼女なりの脅迫だと思いました。 私は平静を装って寝室に戻りました。彼女はまだ起きているようで、私たちはベッドの中で、久しぶりに会話をしました。彼女はなぜ自傷行為に走ったかについては触れませんでした。私も聞きませんでした。気にはなりましたが、それを直視するのが、今なら分かります、そのときの私は怖かったのでしょう。 私は翌日、会社を休みました。彼女は打って変わって私に明るく話しかけてきました。私は彼女にほとんど返事をしませんでした。私の思考は、それどころではなかったのです。 自分でも驚くことに、私の彼女への愛情は、冷めてしまっていたのです。 私は彼女のことを恐怖しました。また夜中に突然自分を傷つけだしたら怖い。そのうち物や、私にまで当たるようになるかもしれない。こんな不安定な人と一緒には暮らせない。私の平和な暮らしを脅かさないでほしい。 私は、彼女に別れを言い渡しました。彼女は私を責め、今まで構ってもらえなくて寂しかったこと、何度も自分と会話してくれるよう頼んできたのに、それが裏切られたことが悲しかったことを打ち明けました。 私はそういえば、と思い出しました。彼女がゲーム中の私に、ボイスチャットの邪魔にならないようにちょっかいをかけ、私はそれを無視してゲームを続けるということが幾度となくあったことを。 私はそのとき初めて、彼女の気持ちを知りました。 もうずいぶん昔のことなので、どちらがそれを言ったのかは覚えていません。 私が自ら心の中で発したのか、それとも彼女が言ったのか。 ただ、その言葉は私の胸に、今でも深く刻まれています。 『いいえ、私は/あなたは知っていた』、と。 ……長々と、こんな話をしてしまってすみません。あなたの求めていた話では、ありませんよね。 ただ、こういうVRChatterもいるのだということを、誰かに伝えたくて。誰にも話したことはないんです。あなたなら、もしかしたらなにかの形で昇華して、私と同じような状況になりかねない人に、このみっともない教訓を伝えてくれるかもしれないと思ったんです。 私はこれからもVRChatを続けますよ。私はこの世界に根を下ろしてしまった。リアルの世界で、誰かと連れ添って生きる資格はないんです。当時は彼女を憎みこそしましたが、今では私たち二人ともに問題があったと思っています。 二人で、よく話し合わなかったこと。相手の意見を聞き入れず、一方的に自らの事情を押しつけたこと。 いえ、もっと根源的なことを言ってしまえば。 私たちは、相手への想像力を持たなかった。 そんな二人に、結びつくことなどできるはずもなかったんです。 今日はありがとうございました。記事のまとめ、頑張ってください。 なんでしょう? ああ、マテリエさんなら私が初心者案内をした方です。初めて会ったときからVRChatを楽しむことに意欲的で、疎遠になってからも初心者案内やイベントスタッフなど精力的に活動を行っている様子がTwitterに流れてきていました。 彼のトラブルは聞いています。ただ、本人から発信が一切ないため、私は彼を悪だと断定することはできません。 あれに関しては周囲の対応もよくなかったと思っています。人間関係のトラブルは当事者間で解決すべきです。周囲の人が助けられるかもしれない、などと言う人もいますが、私は反対の考えです。周囲がいくら取り持ったところで、本人たちが和解の意志を持たなければそれまでなんです。それに、関わった人数が増えれば増えるだけ、炎上のリスクが増しますから。……マテリエさんの場合は、まさにインターネット上における陣取りゲームに負けた形でしたね。 すみません、言葉が過ぎました。彼がリアルで幸福に生きていることを願うばかりです。 はい、お疲れさまでした。またなにか力になれることがありましたらお声がけください。失礼します。おやすみなさい」
編集メモ:
メカ改変を施したスタイリッシュな女性のアバター。ゲームのキャラクターをイメージしたものらしい。 同棲していた恋人とのくだりは、貴重な教訓を含んではいるものの記事の趣旨に添わないためカットする。 ただ、VRChatに熱中する者にとって無視できない話であるため、彼の言ったとおりなんらかの形で昇華したい。私にフィクションが書ければの話だが。 マテリエについては、今までで最も中立な意見を聞けた。マテリエに縁のある人々にしかインタビューを行っていないから印象が偏るのも必然だが、炎上の話題に触れる際には、今回の彼のような公正で冷徹な視点も重要だと気づかされた。 実際にWeb掲載する記事にはマテリエのことは一切載せないし、この私情を捨てるつもりもないので、心に留め置くのみだが。